彼女には、文才があり、学生のときから言葉を弄り、組み立てることで
たくさんの詩や歌を作り、小説を書いた。
その感性は詩人であった祖父のものなのかとたずねたこともあったが、
「わたし、お祖父さんに会ったことないのよね。」と言って笑った。
性格も明るく、誰からも好かれた。
皆が彼女は言葉の泉を持っているかのように思い、僕もその一人だった。
99年の9月に僕と彼女は交際を解消した。
原因はあったが、直接の原因ではないように感じた。
互いに互いを見なくなった、とでも言うのか。
一つ気になったのは、彼女の書いた物語が雑誌に載った時のセリフ。
「あーあ、仕方ないのか。」
何が仕方ないのか聞いても答えは無かった。
彼女自身どうしてそんなことを言ったのか説明できないようだった。
「離れようと思えば、離れられたはずなのに、結局言葉を考えることから離れられなかった。」
と残念そうに彼女は言った。
君の才能が素晴らしいから仕方ないんじゃないのか。
僕がそう言うと彼女は目尻をつり上げた。
「そういう意味の仕方ない、じゃない。君に、何が分かるの?」
僕は言ってはならないことを言ったと思い、押し黙った。
引越をした。
8年前に書かれた彼女の小説、その書評の載った雑誌。
『軽快な文章にセンスを感じる。時に軽すぎると思われる言葉には人の心をすり抜ける力がある。まるで空気のように肌にしみ込む。』
僕らは往々にして自分と異なる存在を好む。
自分には無いものを持っている者をうらやむ。
自分が感じ得ない感覚を感じている人を物珍しく見つめる。
もしも「軽快」と評された彼女の言葉が、彼女にとってはものすごく重い言葉だったとしたら?
重みに耐えかねて、紙に書き出すしかないほど苦痛に歯を食いしばって出したモノだとしたら?
評価の正否を言っているのではない。
誰にどんなことを言われようと、「仕方ない」ほど自分の紡ぐ言葉が重かった彼女。
書かなければ頭がいっぱいになってしまうだろう。
僕は知らずいつからかそのことに気が付いて、彼女の言葉を耳に入れなくなった。
僕には軽くしか感じられないその言葉の重みを、彼女と共有することが出来ないからだ。
それは彼女だけの重さだろう。
僕だけでなく世間のほとんどの人が彼女の言葉を「軽い」と評した。
彼女はひとり長い道を行かなければならない。
自分だけが感じるその重さを背負って歩いてゆくのだ。
そして僕は意味も無く昔した会話を思いだす。
君の手はずいぶんしわしわだね、まだ若いのに。
「そうね、どこか体でも悪いのかしら。
病気って健康そうでも体の一部に出るってことあるじゃない?」