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2154.寒さの記憶

6月の雨の日、寒さで不意に2月を思い出した。
パソコンの画面から目を離し、ふと窓を見る。
雨が降り続いている。
もう6月なのだから、2月と同じ気温な訳はなく、
僕が感じた寒さも2月のものとは程遠い。
なのにどうしてかあの寒い月を思い出すのだ。

忘れられないようなつらい痛みも、
時と共に癒されると誰かが言っていた。
だが傷の痛みは忘れられることなく体に残り続け
肌がぴりりと麻痺したような感覚が心に焼き付けられる。
残った痛みとは、その時傷つけられた痛みではなく、
やけどの跡のように肌に張り付き、それでも治らない痛みだ。

寒いということはそれに似ている。
痛みに似ている。

# by trash-s | 2016-03-13 01:50 | ある日の出来事

2153.失恋

さよならの訳はなんだったかな。
卒業式も終わった三月八日、彼女は僕に別れを切り出した。
僕はなんとなく納得してしまっていた。
どことなくそんな雰囲気だったのかな。
今となっては憶えてない。
彼女が告白して僕が受け入れて、
彼女が別れを切り出して僕がまた受け入れる。
ごくつまらない形だったんだな、と思う。

二ヶ月前に買ったCDの曲をエンドレスで聴いていた。
どう思われていたにせよ、ショックじゃないといえば嘘になる。
「えー、その曲好きなのー?」
嫌そうに言った彼女を思い出す。
それが別れの理由だとは思えない。
ただ慌ただしく進む時間を押しとどめようとしていた。
未練があった訳じゃなくて、急速に変わる景色で目が回りそうだったのだ。
毎日していたメールも相手がいなくなり、
遊びに行くために貯めていたバイト代も使い道がなくなった。
もう何ヶ月も行けていない釣りにでも行こうか。
原付の免許でも取ったら、兄のを借りて遠い海で釣りができるな…。
今からなら春に間に合うかな。

# by trash-s | 2016-03-08 23:43 | おとな未満

2152.何かを外に発するということは

準備はしてなかった。

天気予報では嵐の予報は出ていなかったはずだ。
30分ほどこいだところに行くつもりで、いつもの舟で水に滑り出す。
15分ほど進んだところで雨雲に気がついた。
17分ほどのところで大粒の雨が顔を打ち付け、
18分後、僕の舟は転覆した。
ひっくり返った舟にしがみついた。
それから雨は顔にちくりちくりと刺す程度の強さに変わった。

ひどい目にあったなぁ
命が助かって良かった。
天気とはわからないものだな。
僕はのんきに構えていた。

この時僕は気がついてなかった。
僕が向かっていた島も、僕が住んでいた陸地も
今の嵐で綺麗さっぱりなくなってしまったことを。

帰る場所も、語り合う友も、信じるべき共同体も
一切をなくして僕は舟に乗る。
どこを向いても水平線が続く。
楽しいか、怖いか、そんなことも考えられないままに。

# by trash-s | 2016-03-07 21:52 | 形而上のセカイ

2151.オンセンイズメモリー

伊豆ほうへ一度だけ行ったことがある。
旅行にさほど興味がないため、それきり行ってない。
大学生になったばかりの頃だった。
電話を取ると久美姉さんで「迎えに来い」と一言言った。
どこにいるんです?
「伊豆」
イズ。
なんですかイズって。
「地名の伊豆よ。早く来て」

後で友人に聞けば関東なんだから伊豆なんてすぐだよ、と言われたが、
なにせ歩いて10分のところに行くにも「遠いなぁ」なんていう僕だから、
遠い国のようだった、伊豆。
宿の名前と住所を教えてもらって、あとはグーグルに聞く。
景色も、途中の駅も、なんにも憶えてない。
ただシーズンオフでこれといった観光臭もなく、
隣のサラリーマンが背広に垂らしたよだれが気になった記憶しかなく、
宿は、どっかのなんとかって駅から見えるくらい近くて、
民宿の仲居さんに案内されて通された部屋は普通の二人ほど泊まれる部屋で

そこで久美姉さんは僕のために買ったという温泉饅頭を
開けて食べ始めた。
「お酒のあとに温泉饅頭食べると二日酔いにならないのよ」
みたいなことを、3回くらい言っていた。
日本酒でいくらか出来上がった久美姉さんが笑って手招きしていた。

# by trash-s | 2016-03-06 22:48 | 久美姉さん

2150.今夜都合が合えば映画を観に行きましょう

「お前あの先輩のこと好きなのか?あの——」
サークルの先輩はヒナタさんの本当の名前を言ったが
僕には関係なかった。
僕にはただのヒナタさんだ。

別に好きじゃないですよ。
仲は悪くないと思いますけど。
「付き合ったりとかしねーの?」
いや、彼女、彼氏持ちですし。
「えー」
この話題はこの辺りにしておいたほうが良さそうだ。
彼は男と女が仲良くしてたら恋愛感情にあると決めつけないと気が済まないタイプだ。
その短絡的な発想には同意しかねる。

「とはいうものの、僕はセックスしても恋愛感情なんか生まれない」
人の頭の中のセリフを勝手に考えるのやめてください。
得意げなヒナタさんを僕は一蹴した。
さっきの先輩の話をちょうどしたところだ。
そのセリフはそっくりそのままお返ししますよ。
彼女には五人の恋人がいます、って喉まででかけてやめたのを褒めてください。
「言っても良かったのに、ドン引きでしょうけど」
さぁ、俄然興味を示すかもしれませんよ。
都合のいい女かとも取れますし。
「同じじゃない?
人が自分の都合以外で人に付き合うことがあって?」

# by trash-s | 2016-03-05 23:36 | ヒナタさん