1855.辛苦の導火線

病で妻を早くに亡くした男がいた。
男は涙の川が枯れる頃、ひとつの歌を作った。
涙の代わりに吐き出すその歌は、誰かの涙を誘い出し、
男の代わりに皆が泣いた。
悲しい時にはその歌が、苦しみの代弁者となった。
皆はその歌を歌い、涙とともに苦しみを洗い流した。

それを聞いた少年が、涙の代わりに喜びを男にあげたいと願った。
願いの果てに少年は、一つの曲を作り上げた。
願いを共有してくれた一人の少女が詩を書き、彼の曲を歌った。
その歌は生きる歌。
前向きに太陽に向かって生きる歌。
悲しみに四肢をもがれた一人の男は、笑って歩き出す。
それを見て、みんなも笑い出す。
みんなでその歌を歌う。

辛苦の導火線が誰の背中にも付いている。
逃れられない導火線、どうか痛みに負けないでほしい。
痛いと言ってもかまわない。
辛いと泣いてもかまわない。
それでも命を散らさなければかまわない。
そのための歌、そのための力を手に入れる歌。

その歌はもう無い。
作った彼らももういない。
自分と自分の仲間のために作った歌だから
村が無くなると一緒に、歌もなくなった。
時間とともに風化した、誰もしらない歌。

by trash-s | 2012-04-20 18:03 | 形而上のセカイ