1864.人間であるうちは飛べない

5月の空は澄み渡って雲一つ漂っていない。
来る途中には、吹き始めた緑の葉が町並みに目立っていたが、
この街にやってくると茶や灰の建物がひしめき、
明るい緑は一切見なくなった。
修道会の事務所にはセンリが持ってきた観葉植物が窓際で
不自然な緑の輝きを放っている。
「階段の廊下の所にある枯れた観葉植物の鉢も処分しないと。」
センリは張り切っていた。
ここで植物がまともに育つもんかよ、とクガツが毒づいていた。
日当りの悪い事務所では耐陰性のある観葉植物でも厳しいかもしれない。

クッションのカバーが洗濯されて屋上に干されている。
ここは17階。
ダールベリスの事務所が2階だから、結構な高さに登ってきたことになる。
しかし7階から12階くらいまではフロアがなかった。
ただひたすら階段を登っていった。
「反対側にフロアに入れる階段があるの。
でも隣のビルの4階から入らないと行けない場所で、事務所とは繋がってないの。
そこの階段は三つ向こうの、ほら、あの黄色いアンテナの立ってるちょっと低いビルがあるでしょ、あそこに出るのよ。」
迷って死者が出そうだね、と僕は言った。
「あはは、迷って帰れなくなる人は実際いるけれど。
子供の時に迷って家に帰れなくてそこで商売を始めた人がいるわ。
大きくなって結婚して子供が生まれた後、ばったりお母さんに再会したの。
今は一緒に暮らしてる。」

僕の足下に広がる高層住宅街には僕の知らない人々の蠢く生活や人生があり、
彼らが見上げてみる僕の姿も天上人のような存在ではなく、
同じ地上に蠢く虫のような生き物だ。
住処を積み上げても積み上げても、あの高い空に手が届くことなく、
この複雑に入り組んだ地上で道に迷いながら生きていく他ない。
遠くに煙が見える。
あれはなに、とセンリに尋ねると「火葬場の煙」と答えた。
長い旅路の末に、ああして人は空に登る方法を見つけたのだな。

by trash-s | 2012-05-02 15:38 | あの街