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1892.悪人のいない国

知らない居酒屋に入って飲んだ酒が、やたらと体を巡って、
僕も雅人くんもべろんべろんに酔ったことがあった。
人のいない公園の水飲み場に、二人分の汚い吐瀉物。
網目の蓋のしまった暗い奥底に、それらは消えていってしまう。
不意に雅人くんは子供の頃の話をする。

不良らしい不良もいない水田の広がるただの田舎。
30世帯もない集落に生まれ、何の疑問も抱かず生きていた。
好きな子は三人いて、中学生の頃にはその三人とも付き合って三人とも別れた。
今ではいい友達。
兄が家を継ぎ、姉は地元の有力者の家に嫁に行った。
雅人くんには甥と姪が五人もいるそう。
夏には、姉に三人目が生まれるから、一人増えると言って笑った。
町役場に勤め、見合いの話もあったがまだ若いから、と断った。
地元には雅人くんの土地もあり、結婚したらそこに家を建て、住むのだと。
稲穂の実る頃、兄嫁に都会の話を聞いた。
兄嫁は村の外から来た人。
やましい関係とかないからな、と雅人くんは念を押す。
そして雅人くんは都会の話なんか興味はなかったが、
兄嫁が何故それを自分に話すのか気になった。
兄嫁の悪意のようなものを感じた。
悪い芽を植え付けてやろうという、暗い感情だ。
ひと月後、雅人くんは誰にも言わず村を出た。
それ以来帰ってない。

僕の質問はシンプルに「なんで村を出たの?」だった。
雅人くんは「もっと悪い奴を見てみたかったから」と言い、
付け足したように
「信じるなよ?全部嘘だよ。」
と言ってベンチに横になった。

by trash-s | 2012-05-30 22:19 | 雅人くん