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1961.僕の手からすり抜けてゆくたくさんの人たち

海にいた夏だった。
僕は毎年海にいくわけじゃないからそれを覚えてない。
学生みたいに生活に指標があるわけじゃないし、
毎日単調な日々の繰り返しで時を刻んでいる。
けれど、覚えている、それは海にいた年の夏だった。

そこで会ったばかりの女の子にかき氷をごちそうした。
経緯はあまり覚えてない。
先に僕が食べていた所に、
彼女が喋りかけて来たんだったような気がする。
彼女は歩ちゃんに似ていた。
それで何となく気を許してしまったんだと思う。
海はシーズンになっても人が来ないような岩場の多いところで、
泳ぐような人もなく、パラソルを立てるような人もなく、
さみしい、さみしい、しかし綺麗な海だった。

彼女には、東京の大学に行った彼氏がいて、
楽しい日々が彼を彼女から奪っていった。
彼からのメールは、ちょっとしたSNSのタイムラインみたいになってて、
来る度に心境の変化を彼女は感じていた。
僕はすこし迷った後、

抱きしめてほしいなら言ってくれてもいいですよ。
でもえっちなのはなしですが。

と言った。
彼女は少し驚いたような顔をしたが、
「そんなこと誰にでも言ってるんですか?」と言って笑った。
誰にでもではないですが、いいにおいのしそうな子には言います。
「それはあなたが抱きしめたいだけじゃないですか。
…でもダメですよ、そんなこと簡単に言っては。
私をただの傷心の女の子だと思って受け止めようとすれば、
後で後悔しますから。」
そう言って立ち上がった。
彼女の見る先に、母親らしき女性が立っていた。
「お母さん、怒ってる。
勝手に病院、抜け出したから。
かき氷も食べちゃったし。」
…かき氷、良くなかったかな。
「おいしかったわ、ありがとう。」
ちらりと見えた彼女の腕には、たくさんの注射の跡があった。

君の言うことにしたがって、僕は君を助けないよ。
「そのほうがいいわ。」

もしも次にどこかで会えたらそれは分からなくなるけど

by trash-s | 2012-08-06 23:43 | ある日の出来事